やっぱり夏はコレっ! 倉吉に地ビールあり(後編)

作り手がいるから「倉吉ビール」あり

先日、梅雨も明けさあ夏本番、というなか「倉吉ビール」の取材をさせていだきました。ビールも、空間(店舗)も素敵なモノでしたが、さらに素敵なのが作り手のヒトでした。その作り手のオーナーの福井さんをどうしても紹介したくてお話しいたします。

実は私、ずーっと以前からオーナーを知っていたのです。実際にお会いしていたわけではなく、facebookで活動の様子を拝見していました。ある日、福井さんのfacebookにビールづくりを始めると書いてあったとき、「えっ?どうして?」と思ったのです。なぜなら、facebookで拝見していたお仕事(活動)はリヤカーでの野菜販売だったのです。私にはそれが結びつかなくて、今回その「どうして?」が解決したのです。

これが、そのリヤカー

「倉吉ビール」は「倉吉ビール株式会社」という会社になっています。その発端は、この福井オーナーが倉吉で様々な活動をされている中、キリンビールの創業者のひとり「磯野長蔵」(倉吉市名誉市民)を知ることにより、自分でもビールを作りたいという気持ちが湧き、それが実現したということでした。そこには磯野氏への想いや地域貢献したい、そしてそのために経済の活性化も図りたい、という気持ちが存在し、そして、ビールの作り手との出逢い、建物との出逢いがあり「倉吉ビール株式会社」が設立され、令和2年8月29日に開店の運びとなりました。

このように、すらりと書いてしまいましたが、会社ができたのは令和1年5月。そこまでも長い道のりがあり、そして、またその先にはコロナ禍という歴史にも残るだろうというウイルスが世界中を震え上がらせ、経済危機をも招いた時だったのです。私が想像する以上に苦難が多かったこととおもいます。しかし、そんな話は微塵もされず、「これから先100年続くビールを作る」と私にきっぱりとおっしゃいました。

庭を見ながらの一杯は格別


お店は、モノ(提供される飲み物や料理)で成り立つのではなく、本当の魅力はヒトなのです。そう、福井さんというヒトにみなさんが魅了されて足しげく通う店となっているのです。オーナーもその日、その来店者の顔を見ながらビールを出すこともあるといいます。それは、いままで地域のコミュニティを作り、そして移住者をサポートしてきたオーナーだからできることなんだなあ、と感じました。また、オーナーはこうもおっしゃっていました。「来店されるお客様は、この倉吉地ビールのために大切な時間というものを使ってくださる。それはとても有り難く大切にしなければならない」と。こんなこと誰が思うだろうかと。初めて聞いた言葉。私もハッとさせられました。モノよりヒトとはこのような言葉からも見えたのです。そうそう「倉吉ビール」は「ヒトに寄り添うビール」だとおっしゃっていましたね。

タダモノではない「倉吉ビール」


そして、以前は医院だった建物を改築されたその空間は、さらにビールの味を引き立たせています。極力昔の梁や柱を残し、さらにその接ぎ木には大工の巧が光る、欠き継ぎ(釘を使用せず組木のように木を継ぎ合わせ、つなぎには木の釘を使用する)が施されていました。

黒い梁がもともとの梁。それに欠き継ぎがされています(梁中央から右側)

ほんとうに「倉吉ビール」は様々なヒトから生まれ、そして作られています。「倉吉ビール株式会社」は、私が思ったのは、これって奇跡だよね。倉吉に地ビールなんて誰が思ったか。あのキリンビールの「磯野長蔵」でさえ考えたことはなかったでしょう。

麦の穂があしらわれた「倉吉ビール株式会社」の看板ロゴ

「倉吉ビール株式会社」が目指すは「伝統」×「新しい」。取材の最後に、なにか消費者の方に伝えたいことをとお聞きすると…

「ビールは人と人をつなぐもの、人とつながり、さらにお客さまもつながり、コミュニティが生まれることを目指し、お客さまの大事な時間をこの空間をいただいて、最大限に喜んでいただけることを常に心に懐きサービスを提供しています」

「倉吉ビール」をよーく見ると、そんな輝きが見えませんか? そして、こんな素敵な作り手が「倉吉ビール」を作っていることを想いながら自宅でグラス片手に飲んで頂けたらと思います(もちろん、倉吉に来てこのオーナーとおしゃべりしながらビールを味わっていただきたい)。

最後に、大変勝手な私の想いですが、これを支えた奥さまが素晴らしい。私、福井さんに言いましたもん。「私が奥さんなら、すぐにさよならしてる」って。「倉吉ビール」の応援者(消費者)、ファンはたくさんいるけど、やっぱり一番のファンは奥さまなんだろうなあ。