幻想的な竹林の風景で知られる旧国鉄倉吉線跡で、長く親しまれてきた竹が枯れ、今年春に見つかった若竹への「世代交代セレモニー」が現地の関金・泰久寺竹林エリアで行われました。新しく生えてきた竹は、地元の児童らによって〝たけちよ〟と名付けられ、廃線跡ウオーク等の観光の担い手として期待されています。

セレモニーでは、倉吉観光マイス協会の名越宗弘会長が「線路の間に生えた3本の竹は、廃線跡の映(ば)えるスポットとして長く人を集めてきました。昨年に1本、残る1本も枯れて心配していましたが、この4月、10mほど離れた場所にタケノコが生えているのが見つかり、大切に養生で囲んで成長を見守ってきました」と経緯を報告、惜しまれながら廃線跡観光を長年担ってきた1本の伐採作業を行いました。

同廃線跡の竹林が有名になった背景には、一冊の本があります。2008~9年、全国26の廃線跡を歩いてルポをした作家、嵐山光三郎さんの「新廃線紀行」(光文社刊)で、当時「小説宝石」に連載されていました。

嵐山さんは、倉吉市で廃線跡を観光に活用しよう2007年からトレッキング・ツアーを始めた若い市職員(現・蔵求康宏鳥取中部観光推進機構事務局長)の案内で、泰久寺駅の近くの竹林を訪れます。「やや! レールのあいだに竹が生えているではないか。天下の珍景」と驚いた嵐山さんは、蔵求さんから「名前をつけて下さい」と頼まれ、中国の故事にちなんで「竹林の三仙人」と命名しました。


「三仙人」は話題を呼び、今や年間1万人が訪れる観光スポットに。嵐山さんは同書の中で「廃線になっても地元に愛され、こうして大切に扱われている倉吉線は、日本一幸せな廃線かもしれない」と指摘。やがて倉吉線は「日本一美しい廃線跡」と呼ばれるようになりました。同書のあとがきで嵐山さんは「倉吉線を参考にして、トレッキング用の廃線ツアーを全国的に展開したらどうだろうか」と提案しています。

廃線跡に生えている孟宗竹の寿命は20~25年と、それほど長くありません。嵐山さんの「三仙人」も寿命が尽きかけて来た今年4月、現地を歩いていた倉吉観光マイス協会の塩川修さんが線路の間にひょっこりタケノコが顔を出しているのを発見、すぐ囲いの養生を設置し、大切に生長を見守ってきました。「線路の下にはバラスト(砕石)が70㎝の深さまで埋設されています。その中から生えてきたのはまさに奇跡」と塩川さん。

周囲の期待に応え、わずか2か月で15mに伸びた若竹。セレモニーでは地元の倉吉市立関金小6年の児童らの考えた愛称「たけちよ」を発表。「徳川家康の幼名、若い頃は弱かったが、たくさんの仲間を集めて天下を取った頑張り屋さん」というのが命名の理由です。
この命名に合わせ、関金地域おこし協力隊員の神野紗也さんが描いたかわいいキャラクターデザインも公開されました。


竹林を含む同廃線跡は、「SUN-IN未来ウオーク」(毎年6月、認定NPO法人未来主催)のコースに毎年選定されており、これからも全国やアジアから訪れた多くのウオーカーたちの目にふれることになります。
【インフォメーション】倉吉市観光マイス協会では、廃線跡コース上(廃線跡観光案内所~山守トンネル間)に4か所設置されたARマーカーをスマホで読み取ると倉吉線に関連した動画が再生され、「さよなら倉吉線豪乗車証明書」がデザインされたスタンプを集めるスタンプラリーを実施しています。
4か所のスタンプを集め、せきがね温泉湯命館フロント、または倉吉白壁土蔵群観光案内所にスタンプを集めた画面を提示すると、元「三仙人」の竹を使った「廃線跡ド根性竹キーホルダー」(先着100人)がプレゼントされます。
