
今春、倉吉市にオープンした鳥取県立美術館(同市駄経寺町)の南側に広がる古代の寺院跡「大御堂(おおみどう)廃寺跡」で、古代さながら建立当時に使われた運搬具「修羅(しゅら)」を使って、三重塔の礎石を市民らが元の場所に戻す体験会が6月27日行われました。

国指定史跡の大御堂廃寺は1400年近く前、飛鳥時代(651~675年)の建立とされ、「久米寺」という当時の寺院名が確認されている全国でも数少ない古代寺院跡。寺院伽藍のうち三重塔(高さ推定20メートル)の中心柱に据えられた「塔心礎」(4トン)、四方に配置された柱を支える「四天柱の礎石」(2・5トン)は戦後、同地に紡績工場を誘致・造成した際に見つかり、隣接する市立上灘小学校の敷地内に移設。「礎石の庭」として73年間、児童らに親しまれてきました。

体験会では、古代の官人に扮した同市の加藤礼二副市長が「歴史公園として、県立美術館との一体的整備が文化庁の支援を受けて進行中です」とあいさつ。根鈴智津子小川記念財団館長(元市教委文化財課長)によると、礎石は「成分分析から(廃寺跡とは小鴨川を隔てた)向山から切り出され、運ばれた安山岩」と判明しており、古代人の運搬方法に挑む「実験考古学」が身近に体験できる機会とあって、子供連れの市民らが多数詰めかけました。


礎石は山で伐採したV字型の巨大な木製そり「修羅」に載せられ、丸太の上を転がしながら少しずつ移動。市民らは綱を引っ張るグループ、丸太を運ぶグループなどに分かれ、「よいしょ、よいしょ」と力を合わせて古代の体験を楽しみました。


「礎石はふつう土に埋まっているものですから、本物の古代の礎石を実際に運ぶなんて、ちょっとない貴重な体験です」と倉吉博物館の根鈴輝雄館長。同博物館では運搬のもようを写真や動画で詳細に記録していました。
