民藝が息づくまち・倉吉、その歩みと未来を語る 倉吉未来中心で「春の倉吉民藝アワー」

 柳宗悦によって始まった「民藝」運動と、それに共感し、郷土で創作や普及・教育活動を展開した作家たちについて語る「春の倉吉民藝アワー」が3月」30日、鳥取県倉吉市駄経寺町の倉吉未来中心セミナールームで開かれました。

会場には新聞広告でおなじみ、長谷川富三郎さんによる「あかぶくろ胃腸薬」の板画が43年ぶりに薬品会社から倉吉に里帰りし、お披露目されていました。

  主催したのは倉吉観光MICE協会(協力・倉吉博物館)。はじめに同協会の会見卓広報担当が「昨年、倉吉民藝ツアーを企画したところ反響があった。民藝は倉吉の文化資源であり、観光にも役立てたい」と開催の趣旨を説明しました。

民藝運動の歴史や現状について解説する渡邊教授

  続いて、鳥取短大の渡邊太教授(社会学)が「民藝の理念と倉吉の表現活動」をテーマに講演。「柳宗悦が、民衆の『民』、工藝(クラフト)の『藝』から『民藝』と命名し、生活の中に息づく民具や器に美を見出す運動を始めて、来年で100年。倉吉は大正期から前田寛治を生んだ『砂丘社』など豊かな芸術文化の営みがあり、長谷川富三郎(板画家)が吉田璋也(医師・鳥取民藝の父)の紹介で柳宗悦や河井寛次郎(陶芸家)棟方志功(板画家)らと交流したのをきっかけに、高木啓太郎(写真家・墨彩画家)吉田たすく(染織家)福井貞子(倉吉絣)ら、多彩な民藝の担い手が生まれた」と説明。「戦後は徳吉秀雄が優れた民藝同人誌『意匠』を地元で発行。作家らの交流は活発で、教育者として後進育成にも力を注いだ」と、〝民藝のまち倉吉〟が生まれた背景を解説しました。

第二部では渡邊教授と現代美術家の久保田沙耶さんが対談

 このあと、「明倫AIR(アーティスト・イン・レジデンス)」で市内に滞在しながら作品制作したのをきっかけに、長谷川富三郎、高木啓太郎らの魅力に惹かれ、創作活動を続けている現代美術家の久保田沙耶さんが登場。現在、倉吉博物館で『匠たちのつばき』展と同時開催中の『郷土ゆかりの作家による花咲くつばき』展で公開されている自作品を解説しながら、「手で触れられるもの、五感を通じて伝わるものが(民藝には)ある。暮らしの中で使っているものを大切にしないと、時代の速い流れにのみ込まれてしまう」と民藝の魅力と役割について語りました。

つばき(倉吉市の木)をテーマにした自作品を語る久保田さん

 近年、鳥取市でも吉田璋也の仕事やかつての民藝運動を見直す取り組みが活発化。クラウドファンディングで吉田璋也ゆかりの「民藝館通り」に民藝カフェを立ち上げる運動が起きています。若い世代も多く参加しているのが特長で、倉吉市でもこうした取り組みと呼応する動きがあり、今後も民藝をめぐる地元の活動から目が離せません。