認定NPO法人未来(鳥取県倉吉市、岸田寛昭理事長)は3月3~7日に台湾を訪問、昨年、SUN-IN未来ウオークの会場で連携協定を締結した千里歩道協会(周聖心執行長)など地元のウオーキング団体と交流を深めた後、南部の嘉義市では「鉄道つながりの交流促進」なども協議しました。


千里歩道協会は昨年6月、倉吉市でSUN-IN未来ウオークと共に開催されたATN(アジア・トレイル・ネットワーク)総会と交流大会「アジア・ウォーキング・フォーラム(AWF)in鳥取」に参加し、同ウオークのステージで連携協定を調印。そのお礼を兼ねて岸田理事長と倉吉商工会議所の岩本善文専務理事、倉吉観光MICE協会の倉繁淳志事務局長の3人が台湾を訪問しました。

千里歩道協会からは、今後さらに協力・交流を深めるため、双方のメンバーによるワーキングチームの設置が打診され、打ち合わせを進めることを確認しました。同協会は昨年からATNの事務局を担当しており、今後のATNの運営についても相談を受けました。
昨年の倉吉市での提携調印式に立ち会った五輪女子陸上ハードルのメダリストで台湾の国民的英雄、紀政さんが代表を務める希望基金会では、岸田理事長と紀さんとの出会いが10年になることなど話題に花が咲き、今後も相互に訪問を続けることを申し合わせました。

また台湾山岳協会では、黄楩楠理事長が「昨年訪れた倉吉はとてもいいまち。参加者がみんなよい印象を持ちました。これからも交流を進めたい」と話し、岸田理事長らと食卓を囲んで歓談しました。


一行はその後、嘉義市を訪れました。
嘉義市は台湾南部の温暖な地。日本統治下の1931年には嘉義農林学校(現在の嘉義大学の前身)が夏の甲子園に出場し、準優勝を飾ったことでも知られています。このエピソードから倉吉市出身の脚本家、羽原大介さんがミュージカル「KANO~1931 甲子園まで2000キロ~」にした縁もあって今回の訪問が実現しました。

同市の東には阿里山山脈や、日米開戦時の暗号「ニイタカヤマノボレ」で知られる台湾島最高峰の玉山(新高山)などの山々が広がっています。日本統治時代、阿里山に自生するタイワンヒノキに目を付けた当時の総督府は、木材運び出しのため森林鉄道(阿里山森林鉄道)を敷設、開通して今年で112年になります。熱帯に属する標高30メートルの嘉義市から、ループやスイッチバックを駆使して最高地点の祝山駅(標高2451メートル)までをつなぐ同鉄道は、沿線に木道や歩道が整備され、駅ごとには昔の面影を残す町並みも残されており、年間100万人を超える観光客が訪れています。



NPO未来の一行は同鉄道を管理・運営する阿里山林業鉄路及文化資産管理処を訪問し、黄妙修処長らと懇談。岸田理事長は倉吉市に旧国鉄廃線跡を活用したウオーキング大会があることなどを紹介し、鉄道とウオーキングを組み合わせたイベントを提案。日本を30回以上訪れている黄処長は日本との交流に前向きに取り組む姿勢を示しました。
また一行は広田一恭倉吉市長の親書を携えて嘉義市役所を訪れました。あいにく黄敏恵市長は不在でしたが、市の担当者と両市の交流に向けて意見交換しました。


今回のNPO未来の訪台では、昨年の倉吉市でのAWCや未来ウオークに参加し、嘉義市訪問にも尽力した李中蓮さん、同管理処の呉明翰さんらが食事や交流会を含めて訪問団一行をしっかりサポート。


5日間の台湾の旅を終えた同NPOの岸田理事長は「昨年のAWFのテーマ『歩いて繋ぐ地域とアジアの未来づくり さ~行こう(最高)』をまさに実感する旅でした」と笑顔で訪問の手応えを語りました。