倉吉の町は歴史の宝庫…倉吉歴史探訪ウォークレポート

「早春の雨の中、街角の歴史ドラマ探る『倉吉歴史探訪ウオーク』 あの国民的英雄が!悲劇の殿様が!復活した名園が!続々登場」

 倉吉市の中心市街地に秘められた歴史の謎とロマンを探りながら約5㌔の町歩きを楽しむ「倉吉歴史探訪ウオーク」が19日、早春の雨の中開かれた。県内から集まった83人の参加者は、明治40(1907)年の大正天皇(当時東宮=皇太子)の山陰行啓にまつわるエピソードやゆかりの品を中心に、ある時は江戸時代、ある時は明治・大正にタイムトリップしながら、「街角の歴史ドラマ」を探訪した。

町の歴史の名解説者
コロナ対策のためグループに分けて時差スタート。引率するのは、町の歴史に精通した
倉吉マイス観光協会の6人の男女ボランティアガイド。

どすこい、名横綱・琴桜に見送られて、さあ、スタート

集合場所は倉吉市出身の名横綱・琴桜(故佐渡ヶ嶽親方、1940~2007)を顕彰した記念館前。当日はあいにく冷雨の天候だったが、「どすこい」、得意の突き押しに見送られ、さあ、スタート。5キロ余り、2時間半のウオーキングに出発。

「2階を見れば、時代が分かる」

古い商家を活用した魚町のアンティークショップ「オークランド」の前で。「2階の形状を見れば、江戸か明治か大正か、建物の時代が分かります」。ガイドさんの解説に、参加者は「えっ、そうなの? 初めて知った」と感服

ここは倉吉のウオールストリート

倉吉は「倉吉往来」「津山往来」「八橋往来」「備中往来」など交通網の結節点にあり、その利便性から商工業が大いに栄えた。国立第三銀行倉吉支店として大正天皇(当時皇太子)の行啓の翌年の明治41年に建てられた土蔵造擬洋風建物のある魚町の通りは、まさに当時の「倉吉のウオールストリート」。現在はしゃれたフレンチ・レストラン「白壁俱楽部」に再利用されている。

歴史物語は一気に佳境へ!

 東町の曹洞宗萬祥山大岳院に到着。ここにはかつて戦国武将の山名氏の館があった。さらに江戸時代の売れっ子作家・滝沢馬琴のベストセラー「南総里見八犬伝」のモデルとなった悲劇の殿様、里見忠義公(1594-1622)と8人の家臣が境内の墓に眠っている。

「民間プリンセス」の大先輩―大江磐代君

里見主従の墓から振り返れば、そこには、明治天皇の曽祖父にあたる光格天皇の生母・大江磐代君(おおえいわしろのきみ、1744年 – 1813)の母、りんの霊廟がある。りんさんは倉吉の町娘。昭和になって「民間からプリンセスに」と言われた美智子上皇后は「ぜひここを訪ねたい」と望まれ、倉吉訪問の際に実現した。

なんと!日本で2番目に古い都市公園なのだ

「森林浴の森100選」「さくらの名所100選」「日本都市公園100選」に選定されている打吹公園は、国内ではあの東京・日比谷公園に次いで2番目に造られた都市公園。

この椅子に大正皇太子が…

大正天皇が皇太子(東宮)時代、倉吉を行啓した際の御座所として建築された打吹公園内の「飛龍閣」に到着。倉吉博物館に所蔵されている皇太子が実際に使用した椅子を特別展示。同博物館の関本明子学芸員が「一行を迎えるメインディッシュとして泊村(現湯梨浜町泊)の生け簀に立派なタイを集めたが、そこから『タイミナニゲタ スグコイ』の電報が届いて、大騒ぎ」という当時のエピソードも紹介。そして皇太子行啓の随行していたのが、当時の国民的英雄の…さて、だれでしょう?

最古の円形校舎は、最新のカルチャー拠点

市街地を西へ。鍛冶町には日本最古といわれる円形校舎の「旧明小学校校舎」が現存、活用されている。戦後、全国各地に建てられたが、老朽化で次々姿を消し、同校舎も一時、解体が決まったが、市民らの活動が実り、現在は「円形劇場倉吉フィギュアミュージアム」というサブカルチャー発信の拠点として活用されている。

よみがえった「名園」

河原町の「環翠園」は、大正から昭和にかけて近代倉吉の代表的な実業家・政治家だった小川家6代当主・貞一(1882―1943)が築き、文化人・財界人を招いて茶会・本懐石を開いた場所。庭園内にある茶亭「南山荘」には菅楯彦、長谷川塊記、バーナード・リーチなどの絵画、彫刻、陶芸などの文化遺産がある。小川記念館財団によって当時の姿がよみがえった。同財団の根鈴智津子館長の案内で、庭園内を散策。

まだまだあります、歴史遺産

ウオーキングもそろそろ後半。1760(宝暦10)年に建てられた倉吉市の最古の町家建物「倉吉淀屋(旧牧田家住宅)」に到着。「淀屋」の屋号をもつ牧田家は倉吉を代表する商家で、淀屋橋で有名な大阪の豪商「淀屋」と密接な関係を持っていたといわれている。

随行した国民的英雄は〇〇元帥

ゴールはもう間近、東仲町の老舗造り酒屋「元帥酒造」に到着。実は、皇太子の山陰行啓に随行したのは日露戦争中の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り、国民的英雄となった東郷平八郎海軍大将(1848-1934)。

当時、トルコでは男児に「トーゴ―」と命名したり、フィンランドやブラジルで東郷の名前を冠したビールやたばこが登場するほど世界的人気。海戦は明治38(1905)年、山陰行啓はそのわずか2年後なので、国民の人気はまだ冷めやらず。町内に宿泊した東郷大将に当主が日本酒を献酒し、その後、元帥の称号を受けたことから「元帥酒造」に改名した。

ゴール後はお楽しみ抽選会

無事、全員完歩して琴桜記念館にゴール。元帥酒造酒飴や長谷寺祈願手ぬぐい、関金温泉入浴券などが当たる空くじなしの抽選会を楽しむ参加者ら。きょう1日、お疲れ様でした。